この8月にスタートした「みちょぱ」こと池田美優が初MCを務めた情報番組「お話し聞かせてもらっていいですか?」(TBS)でも取り上げられたように、マスコミでは“立ちんぼ”を扱うのがちょっとしたブームのようだ。
かくいう私も、本誌で今春の到来を立ちんぼになぞって仙台の事情をリポートしたりしていました。
この時とマスコミ状況が相違しているのは、とにかく大久保公園周辺(新宿区)がやたらとクローズ・アップされている点でしょう。ともすれば、生ライブ配信動画のように発表している群れがいるくらいですから。
都内なら蒲田や鶯谷にも立ちんぼが生息・出没しているというのに相も変わらずな偏向報道には、辟易としてしまいます。
風俗というよりも、そもそもがイリーガルな売〇行為が主目的なのでしょうから、味付けにも妙味が必要なのに。やはり、地上波やYouTubeでは限界があるのでしょうね。
視聴者に飽きられる事なく、本質をジャーナルな観点から見ていく過度期に差し掛かっているのではないでしょうか?
そんな偉そうな目で、一連の報道を見ていた私ですがピンクライターとしての興味本位で「そういえば、昔、仕事帰りに立ちんぼに話しを伺ったなぁ」と、インタビューを試みた事を思い出しました。
時代は遡る事、20年前の冬の事です。
当時、30代だった私は仕事も女性関係もノっていて(含自画自賛w)、愛機ニコンFM2チタンを抱えて全国を飛び回っていました。
その日は隔月で連載していた、ショーパブの取材で福島市に来ていたのです。普段ならば機材を運ぶ都合上、クルマ移動をしていたのですが1月の厳冬期で雪でスタックしてはいけないので、東北新幹線での日帰り行でした。
私は売り上げ向上と、ネタ探しのために「自腹で福島に1泊してもいいな」と、野心を燃えたぎさせていたのです。
ただ、現在のように出会い系があるわけでもなく、雪が時折チラつく天候ではテレクラも沈滞ムードだろう事は覚悟していました。
それならそれで、骨休みするのも良しとして私は駅前の「東横イン」に宿を取ったのでした。
JR福島駅前は閑散としていて、昔の地方都市感いっぱいです。取材を終えて、タクシーで駅前に戻ってきたのはいいのですが、どうにもドンヨリとした雰囲気が漂っていました。ウィークデイでしかも雪が降りそうな22時では仕方ないのかも知れません。
そんな中、チェック・インする前に腹ごしらえをしようかと新幹線口をつっきって西口に出ようかと思っていた私の視界の隅に独りで佇む女性が立っているのに気づいたのです。
土地勘の無い私は「待ち合わせかな?」と思いつつ、ラーメンを食して再び新幹線口にさしかかると、まだ先刻の女性が立ちすくんでいるではないですか!?
私は“旅の恥は書き捨て”という気持ちと、好奇心・エッチ心・ネタの予感を胸に、
「待ち合わせ? 出張で来てるんだけど、飲みにでも行かない?」
と声をかけてみます。
「シ~ン……」
見事なまでのガン無視でした。
「これも、しゃーない!」と、私は落ち込むでもなく取り合えず予約した部屋にインしたのでした。
それでも、シャワーも使わずに仕事着のままでいたのは、何やら胸騒ぎがしたのでしょうね。
私は大袈裟にならないように、コンパクトカメラだけを持ってまたしても駅前に向かいます。取り敢えず駅前の様子を資料として撮っておこうと考えたのですよ。
すると、先刻の女性がまだ立っていたんです。そのまま通りすぎずに、
「寒くない/? 焼酎かお茶でも飲んで暖まらない/?」
ガン無視×2ですよ、あははは。
よくよくその女性を見てみると、先日、ボディビル・ビキニ部門で2位、3位を獲得した北京五輪のカーリング女子・藤沢五月に似ていない事もありませんでした(当時はカーリング自体がマイナー競技で分かりにくいたとえですがw)。
その五月ちゃんのお顔の凹凸を、さらに平坦にした感じです。
駅前周辺も無事に撮了した私は、コンビニでビールとチューハイでも買って帰ろうと早足になっていたところ、
「オニイさん、アタシを盗撮してないよね??」
と初めて五月ちゃん似の「推定立ちんぼ」が声をかけてきました。
「シてるワケないじゃん。誰が(バックにいて)出てくるか分からないしさ」
この頃は、今ほど暴対法が煩くなくて「反社」なんて言葉も使われてない時代今、思い返せば怖いです。ですから盗撮なんて、とんでもない!?」状況なのは五感に触れてきます。
ただし、せっかく五月ちゃん似の彼女から話しかけてきたのですから、この機を逃すのは惜しい!
いつものコンビの名カメラマン・隅田浮一センセイが帯同していたら、遠目から望遠で高感度フィルムか赤外線フィルムを使ってバッチリと抑えてくれたのでしょうが、そうもいきません。残念でした。
それにしても3度目のスレ違いで、向こうから声をかけてきたのはラッキーでした。私は、わざとらしく、
「待ち合わせ? ドタキャン?? こんな綺麗なコを勿体ない」
と、どこかでヒモがこの光景を見張っているやも知れない状況にもかかわらず、返事をしたのでした。
何処かに連れていかれたら、その時は臨機応変にヤるだけです。だてに“ピンク・ジャーナリスト”の看板を掲げているわけではないのです。若い時分の昭和の文豪・中川デイブは、そのくらいの気概を持っていたんですよ(笑)。
「デートなんてとんでもない。それに、この辺りを流してもギャルはいないよ。こんな天気だしさ、アタシもそろそろ帰ろうかと思ってたんだけど、オニイさんがウロウロしてるから可愛そうで(笑)」
そう言って、ユカリさん(仮名・29歳・プー(←多分、立ちんぼとか援〇で生計を立てているんだと思う)は、初めて笑いました。
そして、私の目を見ながら、
「ちゃんとしたホテルで、ひと晩面倒見てくれたら泊まってもイイよ」
と、いってコンビニに私を引っ張って行ってビールやワンカップ、チューハイとオニギリを買い込みました。当然、払いは私です。
「これは夜食ね。朝食は別だから(笑笑)」
私「もう、お金無いよ(苦笑)」
ユカリ「内緒でショーバイ抜きでイイよ、楽しませてあげるから」
こうして私達は2人でビジホに。
宿とのトラブルは避けたいので、ちゃんとダブルの部屋を取り直した私でした。
「まずはお風呂ね」
彼女の言葉に従ってユニットバスへGo!です。ダブルとはいえ、バスタブに2人で座るスペースはありません。
彼女は、股間だけ蒸れたスパッツを脱ぐと太ももからヒップが妙に発達しているのが見てとえました。反比例してオッパイはソコソコのBカップです。
「あんまり見ないでよぉ。中学から高校までソフトボールのキャッチャーだったから腿とケツだけ発達しちゃって。胸も一応は“やや大きい”と思うんだけど…」
時代が現代なら、それこそ発達した下肢及び臀部の筋肉は藤沢五月ちゃんにスタイルが似ていない事も無いのですが、当時は本物の五月選手にそんな兆候はなかっでしょう。幼少期でしょうし。
それでも、薄いマン毛を眺めているうちに、私の息子は臨戦態勢に突入です。
狭いバスルームの壁に両手をつかせた私は、ユカリさんのBカップ・オッパイを鷲掴みしながら立ちバックでチンコを彼女の肉厚のデルタに埋め込んでいきます。
「あ~っ、いぃ~、入ってるぅ~。こんな姿勢で普段はヤらせないから、感じちゃうぅ」
と叫びながら、体を上下に揺らせながら「おぉぉ」と短く声を発せながらマンコを痙攣させて、軽くイったようでした。
その後は、ベッドで買い込んだ酒を口移しで回しのみしてから、今度は正常位で1発キめました。
彼女は寒空に立ち続けていたからか、
「疲れたから、先に寝る」
と言い、眠りの国へ。
翌朝、黒のブラ・パン姿に欲情した私は、シックス・ナインから騎乗位を促して、3度目の発射です。
「溜まってたんだね。だから、しつこく声をかけてきたんだ。ヨシよし」
と、私の頭を撫でてくれました。
仕事には直接の結び付きに至らなかったけど、昨今のマスコミでの「立ちんぼブーム」を見ていて、1泊で3発できた頃の自分を思い出した次第です。
『右へならえ!』する必要は無いけども、通り一篇のニュースではなく、肉迫したリポートを期待します。