ウィ~ス!35mmのデジイチを抱いた渡り鳥・哀愁のカメラマン隅田です。
今年の夏も酷暑という語(ワード)がピッタリでしたね。やっと涼しくなったと思ったら、今度は寒くて寒くて、壮年を超えて、老年の域に達している私にはキツいものがありますよ(笑)。
それにしても、春先に中川デイブ先生と仙台の立ちんぼの活動状況をリポートして以来、風俗ギョーカイからはボチボチと仕事が入ってくるようになり、コロナ禍の時と比べると少しはいいモノが食えるようになりました。
良かった良かった、パチパチ(←自画自賛の拍手の擬音でございますw)。
ついでにスペースを割かせていただくと、中川先生なんぞは、20年以上も前の「
立ちんぼ遭遇」の回想記事まで書いて稼いだりりなんかして、彼女らで明けて彼女らで暮れた1年でもありました。
かくいうオレも、実話誌でブイブイ言わせていた時代には中川先生と組んで都内・鶯谷(台東区)でベテラン立ちんぼ嬢と中川氏が値段交渉する画から、林立するラブホ街に消えていく写真などを盗撮していた件が、今また役だったりした年でもありました。
その例が、ここで記すリポートです。当時のオレ様の活躍ぶりを覚えていた編集担当者から「出張した時の“抱き合わせ”で写真と簡単なリポートを書いてくれたら、ギャラはソコソコ出せるよ」と甘い言葉に乗せられたのでした。
なので、ここでは大阪での顛末を報告します。ひらたく言えば、「関西立ちんぼの今の姿」(仮題)みたいな記事の作成に乗り出したんですよ。
在版の“通”の方々は、自分らが遊んでいるステージを「灯台もと暗し」的に見てくださいな。
得意の「抱き合わせ取材」で大阪へ
実はこの企画は、ちょうどオレがビジネス関連のサイトの取材で大阪・梅田~郊外へ同行出張&撮影する予定が予定があったので“渡りに舟”だったのです。
そこでオレは、大阪の同業者や中川先生からも情報を仕入れて、宿にした梅田のマルビル(大阪駅近くのランドマークビル「大阪マルビル」内の大阪第一ホテル)に愛車のランドクルーザーを乗りつけました。「新幹線で行った方が楽なのに」という読者の声が聞こえてきそうですが、私はこの後に控えている「立ちんぼ」ルポのためにクルマで行ったんですよ。
これならば、終電後にも動けるし「何かあった時」に、そのまま逃走できますから。機材の搬送用としてよりも、“取材活動時の足”として重宝しています。
で、経済サイトの撮影も終えて、いよいよ単独での「立ちんぼ」リサーチに動き出すべく、拠点を梅田から難波に移したのでした。大阪マルビルとは雲泥の差の中級の下クラスのビジネスホテルに着くとやいなや、私は狭いユニット・バスでシャワーを浴びて、気持ちを「いつものゲリラ取材&撮影(←撮れればですけど)」モードに切り替えたのでした。
ビルのグルリを囲む立ちんぼ達の綺麗度に股間は臨戦態勢へ
私はあらかじめ仕入れていた情報をもとに、日中から薄暮の頃に現場を下見しました。そして、夜間撮影が無理だった時のために“抑えで”自然光のまま写真を撮ります。
この手順は、いわば様々な盗撮仕事をしてきた中で自然とクセになっていました。
場所は、お笑いの聖地(!?)とも言われる吉本の持つ・なんばグランド花月(NGK)を素通りすると辿り付く千日前通りのビックカメラ周辺と近鉄難波駅です。気温は35°Cを超えています。
当然の如く、夕方にもなっていない時刻なので「らしい」女性の影は皆無でした。その2カ所を徒歩で廻り、そのあとはクルマでも逃走を想定しながら奔ってきました。
そんな、立ちんぼの匂いが全くしない道筋でしたが、現地にいる事を思うと緊張してきます。関東で例えるなら往年の横浜・黄金町や同・長者町、府内ならば西成っぽい街並みを想像していたのですが、ここは両方ともアスファルト道路は整備されて、歩く婦女子サンも洗練されて小奇麗なコばかりです。私は「イイ意味で、期待外れだな」と思いつつ、普通っぽい街の様子に、何かありそうな予感が湧いてくるのを感じていたのです。
私はローソン千日前店で買ったトンカツ弁当でゲンを担ぎ、ついでにオニギリまでも頬ばって腹ごしらえをして夕方までまどろむ事にします。
ホントなら難波でソウルフードを食べたいところですが、目立ちたくないので止めておきました。
で、本番の夕暮れ時に隠密取材はスタートです!
私は、まずは実際にどんなキャストが路上にいるのかを遠目からウォッチングです。すると、どこからともなく女性陣が集まり出して、第一地点の千日前通り・ビックカメラ周辺を囲みだしたではないですか?
その数は目視で40人超です。年齢層は意外と若くて20歳ソコソコから、「いってても、やっと三十路に」突入したばかりの元ギャルで埋まりました。カメラ屋の周りを1周した位置には隙間なくタムロってました。もちろん、単独行動のコの方が圧倒的です。これが、今、マスコミで話題の新宿・歌舞伎町はずれの大久保公園だと、いても5~6人です。絶対数の多さに漢・隅田もビックリでしたよ。
それも、恰幅のイイ娘はいなくて、皆、スタイルがイイのには再びビックリです。在版のピンク系ライターや旧知の風俗マニアに聞いてみたら、「ほとんどがK国系のギャルで、プチ整形とか普通にやってるから、キレイなコも多いでしょ?」との事。
取材日の8月某日にオレが見た限りでは、K国アイドルグループ「アイブ」の最近はショートカットの髪型をしたユジン似のコが推しですよ。本来は世代的には「冬ソナ(懐かしッw)のチェ・ジュウなんかが好みなのですが、今回ばかりは美形且つ庶民派フェイスの名も知らない彼女に魅かれたオレでした…。
世代は2世、3世に突入して「生まれも育ちも日本」というコが多くて、深夜に路上インタビューしても、「ワタシ達の世代は、反日とかの意識は無いよ」ですから。
加えて、顔立ちがキレイなので三度ビックリでした。そんなコが、ビックカメラのグルリにいて、座り込んでいるのですから、そのレベルの高さは日本屈指ですよ!
ちなみに、「立ちんぼ」と呼称さえてはいますが、連日の猛暑のせいで「クタクタなんですよ」と嘆いていました。これでプライスは、休憩で1.5枚が平均なんだと。
そんな彼女達と1度は離れてオレは第2地点の近鉄「難波」駅へ。
そこは地上数人、地下街数人の日本人がメインです。年齢層はビックカメラよりは
やや高め。プライスは、ここも1.5枚平均ですが、夜更けには「1」の女性が出現しました。というよりは、既存の女性のダンピングが始まったようです。
それだと、オレの食指が動かない事もないのですが、プチ整形のK国美人がひしめく第1地点が放っておけずに、オレは舞い戻ります。
今回は“お金絡み”は極力避けようとしていたので、オレ様は取材に徹する覚悟を、分身のペ二棒太郎(竿の事ですよw)に言い聞かせていたので、交渉をするフリをして聞き込みに戻りました。
そうこうしているうちに、日付がかわり立ちんぼ達も少なくなってきます。多分、そえぞれがラブホに行くなり、あまりに暑いので退散したのでしょう。さっきまでいた推しのユジン似も、インタビューに応えてくれたコも、姿は見えませんでしたよ。
そして時刻は午前1時を過ぎて、オレもあとビックカメラの周囲を2~3周してビジホに帰ろうとすると、座り込んでたコから「おじさん、いいコ見つからないの?アタシで良ければ居酒屋+シャワー、綺麗なベッドで寝かしてくれれば、お金はいらないヨ。Hは気分次第だけどさ…」と、話し掛けてくるではないですか!
「クルマを置いてからでイイなら、“飲み”でもナンでも付き合うけど」
そうしてオレらは朝までヤってる居酒屋に入り、軽いチューハイ(彼女はハイボールに替えた)で乾杯です。
彼女、コトミちゃんは自称25歳のフリーターです。やはり、プチ整形の目元をしており、スタイルはチッパイながら痩せてて◎です。やはり、韓流の「愛の不時着」(2019年)のチャ・チョンファに似ています。純粋な美形タイプではないですが、愛嬌があって可愛いタイプのコでした。
彼女は、オレが最初にビックカメラ周りを廻っていた時から、「怪しいな」「東京から来た慣れてない男」と見て注視していて、第2地点から舞い戻ってきた時からロックオンしていたんだそうです(笑)。
そうです、彼女は爺センだったのです。その後は口約束通りにオレの部屋に泊って追加の缶ハイボール→シャワー→バスルームでパンティを手洗い→セックスとフルコースです。
コトミちゃんは、K国女性アルアルの薄毛で、パイパンと見紛う程のマン毛具合でした。その股間をペロペロしてジュースを溢れさせたオレは、彼女のにのしかかり、その膝をチッパイまで曲げさせてから、マンコにペ二太郎をインです。
「うっ、うっっ、うっ~」と叫びながら彼女はイき、オレは精子を彼女の胸からアゴにかけて、大放出しました。
「部屋は涼しいし、おじさんは優しく(アソコに)入れてくれて楽しかったよ」
彼女は朝食に「刻み上げウドン」を一緒に食べて、地下鉄「谷町九丁目」方面へ消えて行きました。残ったオレは、部屋から事務所のPCに写真を飛ばして逃げるようにランドクルーザーを発車させます。売春行為はシていないので官憲の心配はなく、暴対法のお陰で“その筋”の心配もないのですが、まだまだ「ナニが起こるか油断できない」ですから。
こうして、オレの経済サイトからの“便乗立ちんぼ取材”は終わりました。